ファインディングドリーの感想~ドリーと発達障害を考えてみる~

 ファインディングドリーを見たので感想を書きたくなった。思うにドリーは発達障害で、きっとADHDだ。そんなドリーはニモたちには受け入れられている。どうやらドリーの忘れっぽさなどの行動に疑問や嫌悪感を持っていないのだ。これは発達障害の理想郷を描いた映画であると感じた。

1.もしかしてドリーは発達障害があるの!?

ファインディングドリーを見ていて感じたのはドリーの行動に発達障害っぽい特徴があることです。

・激しいもの忘れ
・激しい衝動性

という何となくADHDっぽい症状がドリーにはある。だいぶADHDの特徴を極端にしてわかりやすくしたらドリーのようになるのではないかと感じた。それにしてもドリーは周囲と溶け込んでいい関係を築けているところに思うところがあった。

2.そんなドリーがどうして周りの人と上手くいっているのか

 それはドリーの周囲の人たちがドリーの忘れる所・衝動的なところいった悪いところを責めない所にある。ファインディングドリーに出てくるニモやニモの父親、タコ、エイ先生などがドリーの持っている特徴を知っていながら、さほど気にしていないということが大きい。ドリーの物忘れや衝動性は個性として受け入れてくれているのだ。そしてドーリーが困っているときには親身になって付き合ってくれるというのも大変大きい。
 一方で映画の中でドリーを受け入れてくれない魚もいた。そんな人と接しているときにはドリーはサッといなくなったり困ったりしていた。受け入れてくれる人がいるところでしか生きていけないのだ。

 ニモやドリーのコミュニティーは発達障害者から見た理想郷であるといえるのではないでしょうか。

3.実社会にいるドリーの生態

実社会ではADHDなどの発達障害の特徴はどちらかというとマイナスの側面が目立つのではないでしょうか。
「すぐ忘れちゃうのよ」
 大人になってからこんなことを職場で言った日には大抵の場合には針の筵にされます。衝動的な行動も大抵の場合にはマイナスにしか働かないです。極稀にプラスに働くこともありますが。

 社会生活を会社員として営む場合に最も重要となるポイントは能力の均一がとれているということです。多数派と一緒の能力が最低限あることが社会では求められているので、能力に凸凹がある場合にはその最低ラインを満たすことが難しかったりするのです。出来ないことがあるので仕方がなしに針の筵にされながら生きていくしかない。 
 
 研究なんかおそらくないので妄想ではあるが、AdHDが普通の会社員をやると能力の低いところがボトルネックになるので、能力を活かす前にフェードアウトしてしまう人が多いのではないかと思う。
 
 もしくは衝動性を生かして上手くいく行くパターンもあると思われる。ドリーの突拍子もない行動が役立っているように、ADSHの突拍子もない行動が役立っていることも当然あるだろう。能力の低いところを受け入れられるような環境にいればきっと役立つ能力を持っている。

4.ファインディングドリーに見る社会における理想と現実

 実社会においてはニモ親子やその周りにいる仲間たちのように発達障害を受け入れる地盤ははっきり言ってあまりない。そこが発達障害を抱える人の生き辛さ根源であると思う。多数派と異なるものはぶっちゃけ異物だ。どちらかといえばドリーが困っているときにそっぽを向いていた魚が一般的な社会だ。
 
 しかし、発達障害が受け入れられない仕方がない側面もある。どうしても利益を追求する場ではすべての人が同じように仕事ができる能力を求められる。つまり社会人は平均的である必要がある。そうすると発達障害にはおそらく厳しい。能力に凸凹があるため、上手くできないところで周りの足を引っ張ってしまう。足を引っ張られたと感じた人は当然いい気持ちはしない。そうなると周りからあたりが厳しくなる。

 ドリーとその仲間たちのように、発達障害を受け入れてくれ、能力を活かすことができる社会的な地盤がいつかできるとより社会が発展しやすくなるのではいでしょうか。

5.まとめ

 ファインディングドリーはディズニー的なハッピーエンドで感動的な映画という側面だけでなく、社会の中で生きる発達障害について描かれていと感じた。
 ドリーがコミュニティの中で生きやすいのは悪いところまで含めたドリーの存在が受け入れられているからだ。ところが実際の日本社会では発達障害があるものは受け入れられてはいない。どちらかといえばマイノリティであり邪魔者だ。だからこそ発達障害は生きづらさを感じてしまうのではないだろうか。

 自分と比べて相手の能力の不足を許容することは難しい。良いところより悪いところが目につくように、出来ているところよりも出来ていなことのほうが目につくのです。イイトコメガネって案外難しいでしょう?

 しかし人間には多様性というものがあり、それぞれの得意なことを活かし、不得意なことをカバーしていき、皆の能力を活かせる社会になったらいいと思う。社会的に発達障害が受け入れられるためにはまず知ってもらうことが必要なのではないでしょうか。そうした意味でファインディング・ドリーはいい映画だと感じた。
 
そんなことをファインディングドリーを見た感想として書きたくなり、書いてしまった。
社会にいるドリーが受け入れられる日が来ることを望む

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